ふたつの大切なもの 後編

シモネタに跨げぬ境界線はないに等しい。
しかし完全にないわけではない。


僕は以前、とある“越えられない境界線”の持ち主に出会ったことがある。
それはある日の酒の席でのこと。
野郎ばかりが集まったむさ苦しい宴である。
語られる話題は当然シモネタ。


このブログの読者の方はまあ当然ご存じだとは思うが、僕はくだらないスケベ話が大好きである。
大人数の飲み会でも奥のテーブルから「おっぱいが…」みたいなエロワードを感知しようものなら即座に飛びあがり、ジョッキを持ったまま駆けつける。
「なに?!えろいはなし?えろいはなししてんなら僕もまぜてYO」とポップさに狂気を滲ませた態度で馳せ参じる。
そんな僕だ。当然その日も、場の流れがピンク色に変わった瞬間、水を得た魚のように怒涛のシモトークを始めた。


ジミヘンオナニーの話。
はじめてテンガを使ったときの話。
小学生時代のおかず。
高校の昼休み、バスケ部の林さんが僕の机にお尻を乗せて座って以来、ロマンチックが止まらなくなった話。
などなど。
台所の三角コーナーにへばりついた水垢にも劣る、くっだらない話で宴会は大いに盛り上がった。
しかし、である。
ふと横を見ると、クスリとも笑っていない男がいることに気付く。
奇妙な出で立ちの男だった。
野球帽にスタジャン、金のネックレスに薄い色つきのサングラスを身に付けた男は、ジーパンを穿いていることでかろうじて合宿中のプロ野球選手でないことが判断できる。
確か彼はAの友人の友人で…。
酔った頭で野球男についての情報を思い出そうとしていた矢先、仏頂面で沈黙を決め込んでいた男が口を開いた。
「…ボノボ
場にいた全員が一斉に野球男に注目する。
「……霊長類ヒト科に属す生物のなかで、もっとも人に近いと言われているチンパンジーの一種ボノボは、両性間の交尾、ホカホカと呼ばれる雌同士の性器のこすりつけ行為、雄同士の尻つけ行為など、性的な行動のほとんどを挨拶や社会的な緊張緩和の行為として行なっているそうだ」
一同は固まった。
おそらく全員が心のなかでツッコミを入れたはずである。
こいつ、ウィキペディアか?と。
しかし彼は場の空気の変化にも動じず、氷が溶けて薄まったハイボールを一口飲むと、こう話を続けた。
「人間の性行為に関してもその側面は否定することができないだろう。ボノボが人間に酷似しているように人間もまたボノボに酷似していると考えることはできないだろうか。つまり――」
一同は再び固まった。
そしておそらく、全員がまた心のなかでツッコミを入れたはずである。
こ い つ 童 貞 だ な と。


シモネタに越えられない境界線、それは童貞と非童貞の38°線である。
童貞の存在を認識したことで宴は束の間の沈黙に入った。
しかしこの沈黙は決して不快な沈黙ではない。
顔はみなニヤニヤとし、隠しきれない笑いを口の端にちらつかせている。
これは沸き立つマグマの前触れなのだ。
そう。なにを隠そう、前編で話した男同士が仲良くなるのに必要な第二の要素は『童貞』なのだ。


前回説明したとおり、シモネタを吐くのは得体のしれない他人への恐怖心からである。
非童貞である男たちは童貞に対し恐怖心を抱くはずがないのだ。
当然のことだろう。この境界線の向こうに存在する国は、場にいる全てのアホどもの故郷なのだから。


野球男の「どうしてもシモネタは話したくない」「話すくらいなら、生物学や社会科学的な方向に話をそらす方がマシ」というきわめて童貞的な切羽詰まった心情を酌み、その後の会話にはシモネタは一切登場しなかった。
宴はそれでも盛り上がる。
アホどもは皆親戚のおやじのような生暖かさで、野球男を見守る。
なんだかわからないが解放されたことで、野球男も楽しそうに酒を飲み始める。
日本酒のとっくりがそこらを転がり始め、呂律の回らなくなった男たちが一人、また一人とテーブルに突っ伏す頃。
飲み過ぎか、はたまた照れからなのか、サングラス越しでも分かる赤い顔で野球男はつぶやいた。
それはやかましい店内では誰にも聞きとれないほどの小さな声だったが、確かな決意を持って呟かれた言葉だった。
「…俺、今度はじめて風俗にいこうと思うんだ」


境界線の奥に広がる彼の国でもまた、革命の狼煙が高々とあげられたようである。
聞こえないふりをして、僕は新しい御銚子を頼んだ。