厨房日記

久しぶりに何も考えずに書いてみようと思います。


まず卒論の話。
『主観的幸福がもたらす相対的不幸と、幸福な時代の構成要素に関する一考察』みたいなもんを書きました。
母親に「まさる卒論なに書いたの?」と訊かれ、上記の内容を説明したら「お父さん!まさるが怪しい宗教にはまった!!」とわーわー大騒ぎでした。
ちゃうねんて(´・ω・`)
所謂『幸福』と云う概念が主観に縛られてるからこそ人は幸せになれないんじゃないか、定量的なデータを元に目に見える幸福の材料(ex.大卒求人倍率、労働時間量、可処分所得、住宅地価…etc)を計算すれば客観的な幸福度がわかるんじゃないかと、そういう試みなんです。
まあ哲学か科学かで言えば科学寄りですね。明らかになってる材料しか扱ってないので。
だから“幸福を科学してる”と言えなくもないのですが、一応言っておくと某エル・カン〇ーレとは何の関係もございませんのであしからず。


あ。“客観的”であることに拘ったのは、卒論を書くにあたりそもそも「バブルと比べて今の日本は不幸なのか?」という疑問があったからです。
僕は就職氷河期と言われる2010年に就活を経験したわけですが、そこでまあよく聞いたんです。「バブルの頃はよかったよー」的な話。
本当にうんざりするほどバブル賛美を聞かされ、それが就活を終えた後もずっと頭のなかに残ってて。
定量データの比較ならバブルと比べての幸福度が算出できるなと考え、研究をはじめました。
結果、なんと「バブル期と比べその後の時代の方が客観的幸福度は高い」という綺麗なオチがつきました。
ちなみに幸福度を分けたポイントは85年の改正労働基準法と、90年代の減税政策。
詳しい話はあまり童貞公論っぽくないのでこの辺にしておきます。


ということで卒論が終わりました。
学校も残すところ数回です。
暇になった僕はコーヒー屋と掛け持ちで、地元の焼き肉屋でバイトを始めました。
地元って恐ろしいです。
中学の同級生が二人も働いてる(そもそもバイトを紹介してもらった)ので、当然のように昔のあだ名で呼ばれます。
「ドッスー、3番さん網替えて」
「レバ刺しのタレ訊いたドッスー?」
ドッスー。このあだ名は、中学時代連れションをしていた時につけられたものです。
「うぉ、篠塚おまえチンチンどす黒いなww」と。
何気ない同級生の残酷な一言から生まれたあだ名。
この忌々しいあだ名のせいで苦汁を舐めた経験は数知れず。
たとえば、当時おそらく処女であったろう優等生の女子が一言。
「ねぇ、ドッスーはなんでドッスーっていうの?」
南アルプスの天然水ばりに澄み切った笑みで尋ねてくるんです。
泣きそうになりました。
後輩からも「あ、ドッスー先輩ちーすwwwww」と馬鹿にされてきました。
多感な年ごろでしたからね。キツかった。
その後大人になり、友人宅で酒を飲んだ弾みでチンポ丸出しゲームをするまで「僕は何故童貞なのにチンポ真っ黒なんだろう」と絶望してました(比べてみたら黒くなかったんですね。取り立てて)。
そんないわく付きのあだ名を久しぶりに呼ばれる職場。
今となっては笑い話なんですが、なんだかむず痒いですね。股間が。


職場といえば、僕が働く焼き肉店のオーナー。
面接行くにあたり、先に働いていた同級生Aに特徴を聞いたところ「パーマとかヒゲとか。あ、水嶋ヒロに似てるかも」と。
あのリアル出来杉君ことKAGEROU師匠に似てるだとッ……!

おそらく職場はリア充の巣窟。
やっていけんかと一抹の不安を覚える僕。
そして面接当日。
現れたのはワイルドなパーマネントヘアに男臭い口髭を蓄えた中年男性。
KAGEROU師匠…というよりダイワマン

役所広司と愉快な仲間達にかこまれ、僕は元気にやってます。
役所オーナーはやんちゃな男の子がそのまま大人になって成功を収めたタイプの典型みたいな人です。
酒、煙草、麻雀、パチンコ、スノーボード、女。
掛け持ちするカフェの店長が女子力の化身だとしたら、役所オーナーは男子力の権化です。
働き始めて二日目。
苦み走ったダンディズム溢れる表情でオーナーは僕に尋ねてきました。
「…篠塚君はスケベなの?」
洗い物をする手を止め、僕も負けじと真剣な表情で返しました。
「…どスケベです」
オーナーは軽くうなずくとポンと僕の肩を叩き、無言で一枚のDVDを渡してきました。

『浮気はアナルで』菅野しずかさん主演のAVでした。
男子力漲る尻ASSな展開に脱帽の出来事でした。


こんな感じの最近です。