ふたつの大切なもの 前編

男同士が仲良くなるのに必要なものはそう多くない。
大切なのはただ2つだけであり、そのうちの1つでも押さえておけば大抵は友人になれる。
まずひとつ。
男同士が仲良くなるのに必要なのは『シモネタ』である。
いや、冗談じゃなく。


22年と10カ月。この短い人生を振り返っても、「なぜそこでシモネタ?」という場面は数限りなくあった。
高校のクラス変えの初日、バイトの面接、大学の飲み会は言わずもがな。
地理の授業では地図帳に書かれた卑猥な名称を見つけるたび盛り上がり、戦争映画のワンシーンには決まって下品なジョークで笑い合う兵士の姿が描かれ、盆暮れに集まる親戚のオッサンはしつこくチン毛の発育状況を尋ねてきた。
何故そこでシモネタなのか?
今ならばわかる。
そこにシモネタを発する必要があったからなのだ。


シモネタを聞くと男は安心し、相手に気を許してしまう。
シモネタを発するということ。それはちょうど、主人に可愛がって欲しい犬がごろりと横になり、アホ面を浮かべながら腹をみせるのに似ていると思うのだ。
たとえばこんな風に話を振る。
キンタマって実は動くんだぜ。こないだ気付いたんだけど、面白くて一日中観察してたら風邪をひいたんだぜ」
聞いた人間はもれなくこう思う。
「こいつとんでもないアホだな」と。
こう思わせることによって安心感や親しみを得る。
人によっては、こんな話をしてアホであることをカミングアウトする→そこまでして俺と親しくなりたいのか!、と深読みし更に親しみを覚えるタイプも存在する。
そしてここから始まるのがシモネタの応酬である。
「相手も恥部を曝け出してくれたんだから、俺もいっちょポロリしてやっか」
この行動にはこんな心理が隠されている。
まるでスパイの合言葉のように、朱印船貿易における糸割符のように、「つー」と聞けば「かー」と返す阿吽の呼吸で、シモネタは男たちの心の潤滑剤となってきた。
不器用で垢抜けず、情けないほどに純粋なコミュニケーション。
それがシモネタである。


たぶん不安なのだ、人は。
他人に対する得体の知れなさや恐怖を埋めるためシモネタは今日も世界中を飛び交っている。
人種、国籍、年齢、地位、学歴……etc。
人が人として生きる以上、面倒なしがらみは絶えない。
様々な境界線があり、線に刻まれた溝はどこまでも深く落ちて行きそうに感じられることもある。
他人は恐ろしい。だからこそ、人は境界線の深い溝にシモネタという橋をかけるのである。
シモネタに跨げぬ境界線はないに等しいのだ。