なんとなく僕たちは大人になるんだ

2010年8月10日の僕は22歳で大学四年生。
身長は180センチ体重73〜5kg、85%が脂肪以外のナニカで構成されている。
髪の毛はふさふさで眼球は黄色く爪は短い。


早朝6時に寝て午後三時に起き、まるちゃんの冷やし中華を作って食べた。
村上春樹ならにんにくを刻みフルーツトマトと炒めパスタを茹でるけど
僕は錦糸卵を作りロースハムを刻んで中華めんを茹でた。
それなりの味がした。


その後薄暗い部屋のステレオに電源を入れ、氷の溶けたアイスコーヒーを飲む。
Tシャツにパンツ一枚で、背もたれの軋む椅子に体育座りし音楽を聴いた。
youtubeは便利だ。
さいしんのぎじゅつといえる。
僕の友達に警鐘を鳴らすのが趣味という奇特な人間がいる。
彼に言わせれば“さいしんのぎじゅつ”は
『人間の思考力、想像力を貧困にする一つの脅威とも言える』らしい。
なんだかよく分からないけど、3Dテレビが嫌いな事だけは分かった。


youtubeは今や喫茶店にたむろするババアでさえ使う。
早乙女太一ファンクラブらしき(下げられた食器に丸まった会報が乗ってた)おばちゃん集団は
大きな声で下品に笑いながら『こないだyoutubeでみたわよぉ」なんて話してた。


僕だって今日はyoutubeを使いかれこれ3時間以上も音楽を聴いてる。
古今東西いろんなやつを聴いてみた。
さいしんのぎじゅつは昔持ってた思考力や想像力を消してしまうかもしれない。
でも、それに上書きされる形で新しい思考力や想像力を僕たちにくれるんじゃないかってふと思った。
自分の知らなかった、考えつきもしなかったメロディやリズムに触れるたび、
感動にぷすぷすオナラを漏らしながら打ち震える僕はそう感じたんだ。


絶対的な優劣は主観に基づく。
幸福な時代がありえないのと同じくらい最善の思考力や最良の想像力は存在しない。
それならば、今生きてる時代環境を前提として受け入れ、
淡々と闘っていくのがまっとうなんじゃないかと思えた。


スピーカーから峯田和伸が掠れた声でカウントを叫んでいる。
「2004年11月22日、チン中村26歳誕生日、なんとなく僕たちは大人になるんだ1,2,3,4!」

この曲を初めて聴いた2004年、僕は16歳の高校二年生で紛れもない童貞だった。
今よりもずっと無口でシャイな典型的童貞だった。
あれから6年も経つ。
中高生のアイドルだったバンド、GOING STEADYは解散し、
そののち結成されカルト的人気を博した銀杏BOYZも30代のいいオッサン。
結成直後に出したアルバム二枚を聴きながら、今か今かと次回作を待っていたのも遠い昔の事となりつつある。
峯田は今芝居や映画に夢中で、あいかわらずアルバムは発表されない。
ギターのチン中村に至っては結婚して子供まで生まれてる。
僕は僕でとっくに童貞を捨て、就職も決まり、あの頃恐れていたより遥かにうまく世の中を渡ってる。
そうか。なんとなく僕たちは大人になるのかもしれない。
あれから6年しか経っていないのにね。


椅子に座りっぱなしで疲れてきた。
たちあがって伸びをして、艶堂しほりさんのAVで抜いた。
気がつけば、窓の外が涼しくなってきてる。
8月の空は午後7時を過ぎても未だぼんやりと明るい。
さっき落したメアリー・ルー・ロードの曲を聴きながら散歩に出かけようと思う。

『I figured you out』
“わたしやっとあなたをみつけられたんだよ”
なんて素敵な歌なんだろう。