高校時代の卒業文集を晒す

作文が苦手な子どもでした。
どうして苦手だったのかは今でもよく覚えています。
本当に思ってる事を書くのはフェアじゃない気がして嫌だったのです。
教師と生徒の関係においてフェアじゃない気がした。
生徒側だけが胸の内を吐露することを強要され、教師は訳知り顔でうんうんと頷き、時に見当違いのアドバイスを投げられ、教壇の上からコッソリといやらしい笑みを飛ばされたりする。
ファックだけどロックでクールだった思春期の僕にはそれが耐えられませんでした。
だから僕は、作文の授業になると決まって(彼らにとって)意味のわからない事や、想ってもない事を別の人格に成り切って書いたりしていました。
ときに爆弾魔に憧れるアメリカのサイコ少年のように、ときに稼ぎの少ない貧困大家族の長男のように、ときに近所の無駄吠えダックスフントが憑依した妖怪“犬人間”のように。
『篠塚は何を考えてるのかわからんな』と言われ困惑する教員の表情を見るたび、無表情を気取りつつも心のなかではガッツポーズをとるような典型的糞ガキでした。


教師と生徒はそもそもからしてアンフェアな関係です。
気付かないふりをしていたこの事実とようやく向き合い、しぶしぶながらも認められる心境になった頃には、膨大な数の怪作文が出来あがっていました。
これら文章のひとつひとつは、ちゃちなゲリラの犯行声明文であると同時に宛先不明のラブレターでもあります。
『自分の事をもっとよく知って欲しいけど、誰にも教えたくない』
『どこかの誰か未だ見知らぬその人が、一見意味不明に映るこの文章を読み僕の本質を理解してくれる日がくるかもしれない』
そんな悶々としてヒリヒリした十代のジレンマがこれら怪作文には詰まっていたのです。


結局、『作文』において僕のひそやかな願いが叶うことはありませんでした。
教師は黙殺か苦笑に徹し、クラスメイトの目も嘲笑や嫌悪の色以外に染まる事はありませんでした。作文に限ってはね。


数年後、僕はブログを始めました。ここ童貞公論です。
やってる事は昔とちっとも変っていなくて、依然として意味不明な言葉を並べ文章を書いています。
それでも、そんな内容のブログでも、時にはコメントがついたり感想のメールが送られてきたりするんです。
正直とても救われています。
読んでくれてる人間一人一人にケツを貸して回りたいくらいです。


で、何の話でしたっけ。
あぁそうそう。作文です。怪作文。
前振りをちょろっと書くつもりが大変なことになってしまいました。すみません。


高校の卒業文集が見付かったので、ここに紹介します。


『BABYBABY』


3年6組37番 篠塚まさる


僕の高校三年間は明るく楽しいものだった。
まず一年生の春、恋に落ちた。
相手は2つ上、三年生の先輩Sさんだ。
Sさんは綺麗で知的で優しくて、でも僕にはちょっと厳しくて、だから素晴らしく成長させてくれた。大好きだった。
高校初めてのバイト、僕は有名ファーストフード店で働いた。
時給は六百五十円だったけど、ひたすら楽しかった。
多分良い人間に恵まれていたのだと思う。
部活帰りのSさんはいつも友達と店に寄ってくれた。
レジでにやけているとよくチーフに小突かれたものだ。
チーフの名前は田上さん。
彼は本当にすごい人で、バンド「メロディアリックディアス」のギター、そして僕の恩師でもある。
そう、僕を音楽の世界に導いてくれた人だ。
高一の冬、僕はバンドを始めた。
下手クソなギターヴォーカル(自分)とキュートなベースのみかちゃん、あと海外で活動してたって話の健三さん(ドラム)。
経験豊かな二人にささえられ、つまづきながらではあるが、僕ら「クイントン・ランペイジ・ジャクソンズ」は着実にメジャーへの階段をかけ上がっていったのだった。
高ニの秋、ひょんなことから文化祭ライブに出ることになる。
お世辞にも上手いとは言えない他のバンドを尻目に僕らのバンドは異次元の盛り上がりを見せた。
男どもの突き上げた拳、上級生女子の黄色い悲鳴、下級生の失神。
場内は飽和状態で、すべての人間がスープのように混然一体となった
……気がした。
という夢をみた。
放課後の教室にいる。
目が醒めて僕は泣いた。