ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破

予告通り、公開初日に行って参りました。


新世紀エヴァンゲリオン。1995年放送のこの作品は、僕のような直撃世代にとっては、なんとも語りつくせぬ特別な思い入れがあるシロモノです。
脚本、演出、キャラクター・メカニックデザイン。放送当時、全てが革新的であり事件であったことは今更僕が語るまでもなく、『社会現象』という形で時代が証明してくれていると思います。
それこそ生まれては消えていった劣化コピーの数々は枚挙に暇がありません。
さてそんなエヴァの待望の新作、新世紀ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破を観て実感したことがあります。


ずばり、エヴァンゲリオンの呪いは未だ解けていなかった。


95年以降、幾多のクリエイターがエヴァ超え(又は脱エヴァ)を目指し挑戦を繰り返してきました。
王道、サブカル、パロディ…中には「これは」と思わせる作品もありました。
しかしどれ一つとしてエヴァンゲリオンの呪いをぶち砕くまでには至らなかった。


2009年6月27日。公開初日の劇場で、そんな忌々しいエヴァの呪いが解かれました。
いうまでもなく、エヴァ自身の手によってです。
庵野秀明、とんでもない男だと思いました。
新劇場版:序からの2年近くにも渡る沈黙、いや旧劇場版いわゆる『EOE』公開からの10年は余りにも長く壮大な複線でした。が、それでもよかったと今確信をもって言えます。


「時代を越える作品」を作るということはほとんど奇跡に近い行いです。
エヴァの前にその“奇跡”を起こした富野由悠季機動戦士ガンダム)は自らがその奇跡の力の大きさに押しつぶされ、ただの頭のイカレた偏屈じじいになってしまいました。が、それは責めることじゃないんです。
生涯に一度奇跡を生んだだけで、それはもう十分、いや十二分な功績なのですから。


しかし、庵野は2度奇跡を起こした。
これが新劇場版:破を観たぼくの感想です。
内容についてはホント劇場に足を運んでみてください。あれで満足しないなんて嘘です。